能登路創世記

このページは、能登線の軌道延伸工事の模様を納めたページです。
能登路軌道延伸工事は昭和28年から昭和39年と12年にわたって行われた能登の大プロジェクトでした。
この写真を見ると、あらためて能登から鉄道を失った寂しさがこみ上げてきます…
なお、本ページの写真は「guege1067」様のご好意により提供をいただきました。
よって、本ページ掲載写真の無断転写は堅く禁じます。

昭和37年ぐらいの宇出津駅です。
貨物列車で到着した道床バラスト積載の貨車を、
用ディーゼル機関車で建設現場まで運搬する
模様の写真です。
おそらく奥手側が藤波方面で、踏切の手前地点
から撮影したものと思われます。
ホームに停まっている気動車はキハ何型でしょう
か…?
こちらは昭和37年11月に撮影された宇出津駅
の写真です。臨時列車の車両がホームからはみ
出ています。
そういえば、私が物心ついたときに能登線を走っ
ていた「キハ58」車両も、4両以上の編成だと
ホームからはみ出ていたっけ…
こちらは昭和38年1月に撮影された、宇出津の
街並です。38豪雪時の光景を撮影した、歴史的
に見ても大変貴重な写真です。
こちらも昭和38年1月に撮影された、38豪雪時
の宇出津駅構内の光景です。
内浦は元々雪が少ないのですが、それでもこれ
だけの雪が降り積もったのには驚きです。
こちらも昭和38年1月に撮影された、38豪雪時
の光景です。おそらく宇出津駅から藤波方面に
向けて撮影されたものだと思われます。
前方に見える橋こそ違うものの、現在とほとんど
姿を変えていないことに驚きです。
撮影日は不明ですが、羽根駅より松波方面
400m付近を踏み固め試験走行中の写真です。
とても迫力のある写真です。
写真から察するに、おそらく手前側が小浦方面、
奥手側が羽根方面だと思います。


こちらは昭和38年9月に羽根駅付近で撮影され
た、試運転処女列車の運転模様です。
開業の2週間ほど前から試運転が開始され、
運転従事者が線路に慣れるために実施された
そうです。
「guege1067」様曰く、この列車が吾が眼前を
通過したとき、とうとう成し遂げたとぞ!と感激で
涙をこぼしてしまったそうです。
その能登線が廃止になったのは本当に寂しいで
す…(T.T)
昭和38年9月に撮影された、踏み固め試運転を
終えたC58を、宇出津第3トンネル出口付近を
通過する写真です。
能登線だけでなくC58も大迫力で撮影されている
ので、これは本当に貴重な写真です。



昭和37年3月撮影


平成17年12月10日撮影
軌道延伸工事当時の写真(左)と現在の写真のほぼ同位置を撮影しました。
撮影場所は「第一田ノ浦トンネル(いろはトンネルの「つ」、宇出津−羽根駅間の宇出津駅から数え
て5個目のトンネル)」で、羽根駅方面を背にして宇出津方面を撮影したものです。
この写真は、写真提供者「guege1067」様のお気に入りの景色で、私もこの風景は大好きです。
現在の写真と並べ比べてみると、時代の流れを強く感じます。
昭和37年6月に撮影された、宇出津第5トンネル
(いろはトンネルの「そ」)入口付近の写真です。
写真から察するに羽根駅方面を背にして宇出津
方面を撮影したものだと思われます。
この区間(宇出津−羽根)はトンネルが多く、何と
能登線最多の9個もあります。
本写真は枕木とレールを固定する犬釘打ち作業
の模様です。
能登線はこのようにして造られました。
昭和37年9月に撮影された、能登町市ノ瀬付近
(旧内浦町市ノ瀬)の写真です。
本写真は道床バラスト取降ろし作業の模様です。
この写真も、昭和37年9月に撮影された能登町
市ノ瀬付近の写真です。
九十九湾小木駅(旧能登小木駅)の手前500m
付近だそうです。
本写真は道床整形作業の模様です。

こちらは昭和37年8月に撮影された能登小木駅
付近越坂トンネルを背にして、起点方向を撮影
した写真です。
現在の風景とほとんど変わっていませんね(^^)
そんな奥能登の風景が大好きです。
いつまで変わらずに残っていて欲しいものです。

昭和37年秋撮影


平成17年12月10日撮影
軌道延伸工事当時の写真(左)と現在の写真のほぼ同位置を撮影しました。
左側の写真は、撮影日は不明ですがおそらく昭和37年秋頃だと思われます。
白丸駅(旧能登白丸駅)付近の軌道延伸工事中の模様です。
白丸駅は私の好きな駅の一つで、このような昔の白丸駅付近の写真が現存していたことに大き
な驚きと感動を受けました。
こちらは昭和37に撮影された、松波駅を背にし
て起点方向を撮影した写真です。
軌道敷設工事は順調に進捗し、もうすぐ松波駅
へと開通します。
昭和38年秋に撮影された写真です。
撮影場所は不明ですが、風景から察するにおそ
らく松波駅付近だと思います。
宇出津駅〜松波駅場内信号機前まで、開業前に
必ず実施するC58による踏み固め試運転の模様
を収めた大変貴重な写真です。
初めて蒸気機関車が来るというので、大勢の地
元の方々が見物に来られたそうです。

こちらは昭和38年9月30日の開業日前日に撮
影された、能登白丸駅(現在の白丸駅)の写真
です。
日の丸を掲揚して、開業の喜びを祝っています。
開業当時の柵は木製のようです。廃線時には
コンクリート製となっていましたが、いつ変わった
のでしょうか??


昭和38年9月に撮影された、鵜飼−上戸駅間の竹中川橋梁鉄桁現場組み立て運搬の模様と、
竹中川橋梁鉄桁架設中(手延べ式桁架設工法)の模様の写真です。
橋梁はこのようにして造られていくのだな〜、と初めて知りました。

なお、写真提供者の「guege1067」様が能登線建設(宇出津〜上戸間軌道敷設工事)についての回顧
とエピソードを綴った随想も提供していただきました。能登線建設はもちろんのこと、それ以外のこぼれ
話も満載です。能登路がいかに苦労して造られたかがわかる、写真では表現できない本当に貴重な
生きた資料です。みなさまもぜひご一読ください。
※PDF形式です 能登線建設(宇出津〜上戸間軌道敷設工事)の回顧とエピソード

こうして写真を見てみると、作業風景に女性の姿が多く見受けられることに驚かされます。
亭主は遠洋漁業で不在の家庭が多く、「母ちゃん」の労力が頼りだったそうです。
以下、写真提供者「guege1067」様のコメントです。
「能登のトト楽、母ちゃん達は実に働き者でした。能登線は母ちゃん達が建設したのです。」
能登線を造ったのは、紛れもなく「能登の母ちゃん達」の力なのでした!